モンゴル支援 ボランティア団体 ハミングバーズ

モンゴルについて
 

モンゴルについて

[外務省:モンゴル国より引用]

国名:モンゴル国       [2009年5月]
(Mongolia)

一般事情

1.面積
156万4,100平方キロメートル(日本の約4倍)

2.人口
約270万人

3.首都
ウランバートル(人口102万5,174人)

4.民族
モンゴル人(全体の95%)及びカザフ人等

5.言語
モンゴル語(国家公用語)、カザフ語

6.宗教
チベット仏教等(チベット仏教は1921年の革命後勢力衰退していたが民主化(1990年)以降に復活。1992年2月の新憲法は信教の自由を保障。)

7.略史
年月 略史
辛亥革命、中国(清朝)より分離、自治政府を樹立
1919年 自治を撤廃し中国軍閥の支配下に入る
1921年7月11日 活仏を元首とする君主制人民政府成立(人民革命)
1924年11月26日 活仏の死去に伴い人民共和国を宣言
1990年3月 複数政党制を導入、社会主義を事実上放棄
1990年9月 大統領制に移行、初代大統領にP.オチルバトを選出
1992年2月12日 モンゴル国憲法施行(国名を『モンゴル国』に変更)
1992年6月28日 第1回総選挙(人民革命党の圧勝)
1996年6月30日 第2回総選挙(民主連合の大勝)
2000年7月2日 第3回総選挙(人民革命党の圧勝)
2004年6月27日 第4回総選挙(与野党伯仲で大連立政権発足)
2008年6月29日 第5回総選挙(人民革命党が過半数を獲得するも大連立政権発足)

政治体制・内政

1.政体
共和制

2.元首
ツァヒャー・エルベグドルジ大統領(2009年6月就任)

3.議会
国家大会議(一院制、定員76、任期4年)

4.政府
(1)首相 サンジャーギーン・バヤル(2007年11月22日就任)

(2)外相 サンジャースレンギーン・オヨーン(2007年12月5日就任)

5.内政

 民主化後4回の総選挙では毎回政権交代が行なわれてきた。

 2004年6月の第4回総選挙では、人民革命党が議席数を大きく後退させる一方、祖国・民主連合が大躍進した。ただし、いずれ の党も過半数を獲得することが出来ず、エルベグドルジ氏(民主党出身の元首相)を首班とするモンゴルでは初の大連立政権が 誕生した。

 2005年5月22日、大統領選挙(4年に1回)が実施され(バガバンディ大統領は任期8年(2期)を満了)、エンフバヤル国家大 会議議長(前首相、人民革命党党首)が当選した。

 この大統領選を前に「祖国・民主連合」は解散、第2党の民主党も内部抗争が顕在化し、人民革命党は政治的影響力を回復させ 、2006年1月11日、人民革命党の10大臣がエルベグドルジ首相の経済・社会政策施行の遅れを理由に辞表を提出、同13日に大連 立内閣は発足約1年4ヶ月後に総辞職に追い込まれた。1月25日、エンフボルド人民革命党党首が新首相に指名されるが、民主党 は連立への参加を拒否し、28日に新たな枠組みによるエンフボルド連立内閣が誕生した。

 2007年初頭から閣僚3人が相次いで交代するなど政局の混乱が続いた結果、人民革命党内でもエンフボルド首相への批判が高 まり、同年10月、臨時党大会で同首相は党首を辞任、11月22日、バヤル幹事長が新党首及び新首相に就任した。バヤル首相は、 2008年6月の第5回総選挙までの期限付きながら、新たな枠組みの第3次連立内閣を樹立した。

 2008年6月、第5回総選挙が行なわれたが、開票結果をめぐって野党側が反発、一部の支持者等が暴徒化し人民革命党本部を焼 き討ちにするなどの暴動を起こした。事態を重く見たエンフバヤル大統領は史上初めての非常事態宣言を発令、夜間外出禁止、 首都の交通制限などの措置が取られた。その後、人民革命党と民主党の水面下での協議が進行した結果、両党による大連立政権 が発足した。

 2009年5月24日に大統領選挙が行われ、当初の予想を覆してエルベグドルジ元首相(民主党推薦)が当選した

外交・国防

1.外交
(1)バランスのとれた対ロシア、対中国関係の維持と対アジア、対西側外交の重点化。日本との関係強化に努力。

(2)1991年9月に非同盟諸国会議に加盟。1998年7月、ARF参加。

(3)1992年9月、「モンゴルの非核地帯化」を宣言。1998年12月、「非核兵器国の地位」が国連総会決議で承認。

2.軍事力(出典:ミリタリー・バランス2009)
(1)算 5,217.4万米ドル(2008年予算ベース)(国家歳出予算の約3.0%)

(2)兵役 徴兵制、男子満18歳-28歳(1年間)

(3)兵力 10,000人(予備役約13万7000人)

経済

1.主要産業
商業、鉱業、牧畜業、軽工業

2.GDP
3,096.43百万米ドル

3.一人当たりGDP
1,288米ドル(2008年 by World Bank Atlas method)

4.経済成長率
8.9%

5.物価上昇率
22.1%

6.失業率
2.8%(2008年)

7.貿易総額
6,155.10百万米ドル(収支:-1,076.50百万米ドル)

(1)輸出 2,539.27百万米ドル

(2)輸入 3,615.83百万米ドル

8.主要貿易品目
(1)輸出 鉱物資源(銅精鉱、モリブデン精鉱、蛍石)、牧畜産品(皮革、羊毛、カシミア)

(2)輸入 石油製品、自動車、機械設備類、日用雑貨、医薬品

9.主要貿易相手国(上位5か国)
(1)輸出 中国、カナダ、米国、ロシア、イタリア

(2)輸入 ロシア、中国、日本、韓国、米国

10.通貨
トグログ(MNT)

11.為替レート
2009年2月下旬 1米ドル=1,550トグログ

12.2009年度国家予算
歳入 1兆8,477億トグログ
歳出 2兆2,009億トグログ

13.経済概況
  改革開始当初は体制転換の混乱で低迷を続けたが、日本を始めとする各国や国際機関の指導、助言及び支援により構造改革を 推進し、1994年には市場経済化以降初めてプラス成長に転じた(2.3%)。その後も2007年まで経済は順調に発展してきたが、 2008年秋以降、銅価の急落も一因として金融・経済危機に直面している。豊富な鉱物資源(金・銅・石炭・レアメタル・ウラン 等)の本格的な大規模開発が早期に実施されることが望まれる。

経済協力

1.日本の援助実績
(1)無償資金協力 831.60億円(2007年度まで)

(2)有償資金協力 679.14億円(〃)

(3)技術協力実績 293.58億円(〃)

2.主要援助国・機関
日本、米国、ドイツ、世銀、IMF、ADB等。

3.その他
 日本は、世銀との共同議長の下、1991年9月の第1回から、1997年10月の第6回までモンゴル支援国会合を東京にて開催した他、国際舞台においても積極的に対モンゴル支援のイニシアティヴを発揮している。第7回以降の支援国会合は世銀議長の下、1999年6月、ウランバートルで、第8回会合は2001年5月パリで、第9回会合は2002年ウランバートルで、第10回会合は2003年11東京で行われた。2004年11月末に「モンゴル国別援助計画」が策定され、4重点分野を特定し、現地のニーズに適したより効率的な支援を目指すこととした( 1)市場経済を担う制度整備・人材育成に対する支援、2)地方開発支援、3)環境保全のための支援、4)インフラ整備支援)。2007年度には新空港建設のために約288億円の円借款が供与された。2009年3月、日本政府はモンゴルの財政危機に対する支援として5000万米ドルの円借款供与を表明した。

二国間関係

1.政治関係
  日・モンゴル間の交流、協力関係は順調に進展

(1)「総合的パートナーシップ」の構築が共通の外交目標

(2)「友好と協力のための共同声明」(1998年5月バガバンディ大統領訪日)

(3)「共同声明」(2003年12月のバガバンディ大統領訪日)

(4)「共同新聞発表」(2006年3月のエンフボルド首相訪日)

(5)2006年の「大モンゴル建国800周年」に合わせ、2006年を「日本におけるモンゴル年」、2007年を「モンゴルにおける日本年」と制定。

(6)「共同声明」及び「今後10年間の日本・モンゴル基本行動計画」(2007年2月のエンフバヤル大統領訪日)

2.経済関係
(1)貿易

(イ)貿易額(2008年)収支:-211.3百万米ドル
日本への輸出 27.6百万米ドル
日本からの輸入 238.9百万米ドル
(ロ)主要品目
日本への輸出 繊維原料、銅、繊維製品
日本からの輸入 一般機械、乗用車、建設・鉱山用機械

(2)我が国からの直接投資

 支店開設の日系企業8社、現地法人化した日系企業227社(うち100%投資企業53社、合弁174社)

3.在留邦人数
370名(2008年9月現在)

4.モンゴル国籍の外国人登録者数
4,159名(2007年12月)

5.要人往来(立寄りは除く)

(1)往(1989年以降、皇室及び大臣以上)
年月 要人名
1989年5月 宇野外務大臣
1991年8月 海部総理大臣、中山外務大臣
1992年5月 長田参議院議長
1997年8月 小泉厚生大臣
1999年7月 小渕総理大臣、野田自治大臣、高村外務大臣、野田郵政大臣
2002年6月 秋篠宮同妃両殿下
2004年8月 川口外務大臣
2006年7月 中川農林水産大臣
2006年8月 小泉総理大臣
2006年9月 額賀防衛庁長官
2007年7月 皇太子殿下
(2)来(1997年以降、大統領・国家大会議議長・首相・外相のみ)
年月 要人名
1993年9月 プレブドルジ第一副首相(支援国会合出席)
1993年11月 ジャスライ首相(公式実務訪問賓客)
1994年10月 バガバンディ国家大会議議長(参議院招待)
1995年1月 プレブドルジ副首相(阪神大震災見舞)
1995年11月 ゴムボスレン対外関係大臣
1997年2月 エンフサイハン首相(外務省賓客)
1998年5月 バガバンディ大統領(実務訪問賓客)
1999年3月 ゴンチグドルジ国家大会議議長(参議院招待)
1999年5月 トヤー対外関係大臣
2000年9月 エルデネチョローン外務大臣
2001年2月 エンフバヤル首相(実務訪問賓客)
2002年2月 トゥムルオチル国家大会議議長(参議院招待)
2002年7月 エルデネチョローン外務大臣
2003年11月 エンフバヤル首相(支援国会合出席)
2003年12月 ハガバンディ大統領(公式実務訪問賓客)
2005年3月 ムンフオルギル外務大臣
2006年3月 エンフボルド首相(実務訪問賓客)
2006年8月 エンフサイハン副首相(橋本元総理合同葬特使)
2007年2月 エンフバヤル大統領(公式実務訪問賓客)
2008年2月 ルンデージャンツァン国家大会議議長(参議院招待)
2008年3月 オヨーン外務大臣(外務省賓客)
2009年4月 バトボルド外交・貿易大臣(非招聘)

6.二国間条約・取極
外交関係樹立(1972年2月24日)
文化交流取極(1974年)
経済協力協定(1977年)カシミア工場建設に対するもの
貿易協定(1990年3月1日)
青年海外協力隊派遣取極(1991年3月26日)
航空協定(1993年11月25日署名)
投資保護協定(2001年2月15日署名)
技術協力協定(2003年12月4日著名)